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安倍晋三元首相の国葬への参加

外井浩志


 2022年9月27日に、私は、安倍晋三元首相の国葬に九段下の日本武道館に行って参りました。私が日本武道館に足を踏み入れたのは、昭和50年4月の大学の入学式以来実に47年ぶりとなります。
どうして参加できたかといえば、私が3年9か月前から委員を務めている法務省関連の委員会からの割当によるものです。その2週間くらい前からの連絡を戴き突然のことで驚きましたが、世論では、国葬反対の動きが多い中だったものの、その賛否はともかく、このような機会は二度と無いと思い、回答のはがきに参加の返事を出しました。国葬という形式がよいのか、国会を通さず、国会での予算の審議も経ないで判断してもよいのかという問題があることは承知しても、安倍晋三元首相の葬儀に参加して哀悼の意を示す機会が与えられたことは国民の一人として名誉なことであると思い参加しました。
当初6000人の参加といわれていましたが、結局、国葬に出席したのは4100人〜4200人くらいといわれています。日本国民が1億2千数百万人いるとすれば、参加できたのは国民3万人に1人という数値になります。

 さて、その内容ですが、法務省関係者(法務省と公正取引委員会のグループ)は法曹会館に集合し、11時40分頃にバスに乗り込み、日本武道館に向かいました。交通規制の他の自動車は殆ど通っておらず、10分少しで日本武道館につき、バスを降りて、係の法務省の方に誘導されて日本武道館の階段を上ったのは昼の12時少し前です。偶然ですが、フジテレビが国葬の状況を放映するための中継をしていたようで、妻から聞いたところ、我々のグループがバスから降りて、日本武道館の階段を上るところが放映され、妻も、私が写っているのを見て驚いたそうです。12時に法務省・公正取引委員会のグループの席(3階)へ行き、
式が始めるのは14時なので、特に何の儀式もなく、ひたすら待っておりました。デジカメは持ち込み禁止、スマートフォンは持ち込みの禁止ではないけれども電話やメールは禁止とされており、私はスマートフォンも持ち込み自体が禁止されていると思っていたので、全く時間を潰す道具も無く、漫然と式が開始されるのを待っておりました。誰か知っている者がいないか見渡しましたが、一応席が決められているので移動も自由ではなく、見渡す限り知っている方はその委員会のメンバー3名と弁護士で法務省関係者2名だけでした。
 その2時間の間には、音楽が流れておりましたが、次第に国会議員や海外からの弔問の方々が集まってきました。
 祭壇はさすがに見事なもので、中央に大きな安倍氏の写真と富士山の形を描いた、左右の下の箇所が緑色、上の箇所と真ん中部分が黄色のものです。
 ようやく始まりが近づいて、弔砲19発が響き(自衛隊によって北の丸公園から撃たれたもののようです。19発の意味は分かりませんが、戦前からの慣行のようです。)、安倍昭恵夫人が日本武道館に到着して、式が始まりました。岸田総理を先頭に祭壇への白いロードに、骨坪を抱えた昭恵夫人が行進されました。これだけで周囲の雰囲気はがらっと変わり、私自身も、その厳かで重苦しい雰囲気にどっぷりと浸かりました。
その後、皇族らの入場の後、葬儀副委員長の官房長官松野博一による開会の辞、国歌演奏、黙祷、安倍元首相の生前を偲ばせる15分くらいのビデオが流れました。次に追悼の辞が行われ葬儀委員長である岸田総理の弔辞がはじまり、次々と、衆議院議長細田博之氏、参議院議長尾辻秀久氏、最高裁判所長官戸倉三郎氏等の弔辞があり、最期に友人代表として菅前総理の弔辞がなされました。
 岸田総理と菅前総理の弔辞はさすがによく考え抜かれたものであり、内容的には、私は非常に素晴らしい弔辞であると感銘を受けました。

 岸田総理の弔辞の内容は新聞にも出ていますが、安倍氏とは当選同期であったこと、安倍氏が北朝鮮拉致問題の解決につき強い意欲を持っていたこと、2006年に一度目の総理になりわずか1年で辞任せざるを得ず無念であったであろうこと、2012年再度総理になり、アメリカ・インド・オーストラリアとの連携を深めたこと、平和安全法制、特定秘密保護法を成立させたこと、岸田総理も外務大臣として一緒に貢献できたこと、若い人々・女性を励まし、子育ての負担を軽減する旨の努力をしたこと、憲政史上最長の政権を樹立したこと等様々な貢献に対する讃辞と岸田総理としてもそれを引き継いでいくという決意を示しました。安倍政権については賛否が分かれていることも事実でありますが、経済回復に務めて安定した経済基盤を作ったことは一応評価できるようには思います。

 次に、菅前首相の弔辞ですが、長年の同志としての付き合い、安倍氏が一度総理を退いた後、2度目の自民党総裁選出馬を迷っていたのを焼鳥屋で3時間説得して出馬を決意させたこと、その後、首相に復帰して、特定秘密保護法、平和安全法制、改正組織犯罪処罰法などの法制を成立させ国家の安全を確保したことを評価するとともに、7年8か月という長期にわたり、官房長官として首相官邸で共に過ごせたことは幸せであったこと等の逸話が述べられました。最期に、安倍氏の読みかけの本であった岡義武著の「山県有朋」に、安倍氏によるマーカーがつけられており、そこはいみじくも盟友伊藤博文に先立たれた山県有朋が、「かたりあいて 尽くし々人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」と呼んでいたわけですが、その心境は菅元首相の現在の心境と同じであるというものでした。伊藤博文の盟友といえば井上馨かと思っていましたが、山県有朋ともそのような関係であったのかと再認識しましたし、その引用は、安倍氏と菅前首相との関係を見るとまことに適切なものであり、その弔辞には自ずから拍手がわきました。

 挨拶が終わり、その後、皇族関係の拝礼、それに続いて皇族による供花が行われ、秋篠宮夫妻、佳子内親王らが次々と供花されました、
 その後、皇族以外の拝礼者等による献花ですが、元首相等による献花については森、小泉、麻生、福田、野田元首相らは参列していましたが、細川護煕、村山富市、鳩山邦夫、菅直人ら元首相らの参列がないのには驚きました。党利党略あり、国葬反対、国会の審議なしという批判は自由ですが、元首相が非業の死を遂げたにもかかわらず、元首相の面々が参列しないというのは、あまりにも無責任ではないでしょうか(もし、健康状態のために出席できなかったとしたら御容赦を)。一国民として残念です。その点、野田元首相の決断は立派だと思います。
 元首相の後に、海外の弔問客からの献花ですが、200カ国もの国や国際団体から弔問の方が来られており、当初、司会者がそれを一々紹介していたのでとにかく献花の時間が長くなりました。席から献花台まで遠いため余り良くは見えませんでしたが、インドの首相モディ氏やフランスの元大統領サルコジ氏らも来られていたそうです。国際政治学の教授からは安倍元首相は、その外交の手腕は海外で高く評価されていたということであり、その成果が出たのでしょう。
 この献花は、延々と2時間30分くらいは続きました。献花が終了すればその方は葬儀場を後にして帰ることになるわけですが、4000人以上の者たちが献花するというのは並大抵のことではなく、私が所属する法務省・公正取引委員会のグループは、本当に最終のグループとなり、献花したのが18時頃、バスに乗り込んだのが18時15分頃でした。
 法曹会館に集合してから同じ法曹会館でバスを降りるまで、実に8時間を要しましたが、私個人としては、得難い体験をし、内容的にも充実しており、出席させていただいて良かったと思っております。

(2022年10月3日記)


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